怒りシリーズその3、人間としてありえない
「あの人、人としてちょーありえない!」
とか、トイレの井戸端会議で聞こえてきそうな響きです。
ありえない人がトイレの個室に入っていてありえない話を聞いている、というシチュエーションは古今東西往来古今春夏秋冬焼肉定食ドラマや漫画で使い古されていそうです。
まあ、そんな事はさておき、ありえない人は何がありえないと言われているのでしょうか?
・自分はちゃんとやっているのに
・自分は我慢しているのに(頑張っているのに)相手は我慢していない(頑張っていない)
・守らなければいけない(と思っている)ルールを相手が破っている
こんな感じでしょうかね。
要は、被害者意識が怒りとなっているのです。
被害者意識も、ふたとおりあって、実害があるもの、実害がないもの。
実害があるものは憤慨して当たり前、怒っても良い、いえ、怒るべきです。ある程度怒っていることが伝われが良いと思います。しかしそのまま怒りを増加・持続させたりするのは(体調に悪影響を及ぼしたりする事もあるので)こちらが損をしてしまいます。
そうなってしまったら、怒りの原因となっている考え方をの枠組みを変えてしまえば良いのです。
例えば‥
・自分以外のものに振り回されている → 自分でコントロールしている
・明らかに理不尽でもの大きな視野に切り替える
例:上司が理不尽な指示をした → きっと自分が何かを学べる機会だ
自分はどういう姿勢で仕事をしたいのだろうか
・〜を我慢させられている
→ 自分の判断に基づき、自分で〜している
・怒りは自分が何らかの形で「被害にあっている(と考えている)」事を知らせる感情
・被害者モード → 主体性モード
このような考えにすると世界は自分を中心に回っているではありませんか!
本当に実害があるのかないか、どれだけ被害を受けているのかを検討し、考え方を少しシフトすると少しは怒りもおさまるのかな〜と思います。
ところで、「ありえない」言われた人は本当に「ありえない」のでしょうか?
実際、実害を加えてなくても「ありえない」言われる方々、ていますよね。。
例えば、たくさん給料貰っていても仕事しないどころかスマホ弄っているおっさんとか。
女子トイレで「あのおっさん、ありえない(怒)!」と真っ先に言われる対象です。
このタイプの怒りは自分が被害を被っていなくても湧き出てきてしまう時もありますが、要は嫉妬ですね。
でも、実害がないから別に怒らなくても良いと思います。
おっさんがスマホ弄っているだけで怒りでエネルギーを使っていたらもったいないですよね。そんなエネルギーがあるのならポジティブなエネルギーに変えたいもんですよ。ホントに。
最近、更新が滞ってしまいました。
週の初めにインフルエンザ騒ぎがありまして(結局感染はしなかったのですが)騒ぎすぎ慌てすぎで自分でストレスを作り出すというどうしようもない事をやってしまい1週間疲労して別に引きこもってもいないしやることはこなしていたのでブログはどうしても後回しになるなあと思いました。思っただけ。
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